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【輝く女性ランナー】VOL.2 吉田香織さん①

  < 第一話 >



今回は、いつも笑顔が素敵な吉田香織さん(元実業団ランナー。
現:Runners Pulse所属)にお話をいただきました。

本コーナーでは、吉田香織さんをよく知っている方でも知らないようなエピソードも紹介いたします。
というのも、吉田さん自身が忘れてしまっている記憶の底に埋もれたことをインタビューで引き出すことができたからです。その時の気持ちを含めて皆さまへお伝えしたいと思います。また、ランニングのことだけではなく、吉田さんの想いも一緒にお伝え出来ればと思います。

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【小中学校時代の吉田さん】

小学生時代の吉田さんは、水泳に一生懸命取り組んでいた。しかし、それは本人がしたいと始めたのではなく、小柄で華奢な彼女を健康に育てたいという両親の勧めによりスイミングスクールに入ったという。

好きで始めた訳ではない水泳も練習することで次第に楽しくなり、さらに練習に打ち込むようになった。もともと球技は苦手であり運動は苦手と思っていた自分が大会で勝てるようになると嬉しくなり、キツイはずの練習も楽しくなりジュニアオリンピックへの出場も果たした。

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その後、転居を機にそのスイミングスクールに通えなくなったことをコーチに伝えると非常に残念がっていたという。転居先から通える範囲にスイミングスクールはなく、吉田さんの競技としての水泳はそこで終わった。もし、転居していなかったら"ランナー吉田香織"ではなく、"スイマー吉田香織"として有名になっていたかもしれない。

中学校に入学した時点でも水泳で全国で戦う力はあったので、水泳部に入る道もあった。しかし、当時から走ることも好きだったので陸上部に入りたいと両親に相談したところ母親に反対された。理由は、団体競技で協調性を学ばせたかったのだという。

母親の言いつけを守ってソフトボール部に入部したが、元来球技は苦手なので中々上手くはならなかったが楽しく部活をしていた。そして、入部して半年が経ったときに、吉田さんに最初の転機が訪れた。ソフトボール部の指導者の不祥事によりソフトボール部は廃部になってしまったのである。ソフトボール部員はショックを受けていたが、そのとき吉田さんの担任教師が陸上部の顧問であったことから陸上部に入ることを薦められたという。その時は事情が事情だけに母親も反対しなかったが、今振り返ると、この出来事がなければ吉田さんが陸上選手として活躍することはなかったであろう。

陸上部へ入部後、最初は200m走やリレー、幅跳びを中心に練習していたが、中学2年生になると800mと1500mを中心に練習するようになった。また、顧問が生徒の自主性に任せていたので吉田さんたちは一生懸命練習しつつも、高跳びのマットで昼寝したり河川敷でかくれんぼしたりと、のびのびと部活を楽しんでいたという。

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当時の吉田さんの800mタイムは2分30秒後半であり、県大会の決勝に行けないレベルであったが、なぜか中学三年生の時に中高生を対象とした埼玉県の強化合宿に呼ばれた。合宿は強豪校の埼玉栄の高校生も参加するなど非常にレベルが高く、河川敷でかくれんぼをしていた吉田さんには初日から驚きの連続であった。1000mのインターバル練習ではCグループに入ってもギリギリついていけるくらい苦しいのに、強化コーチから楽そうに走っていると叱られ、Bグループに入れられたという。そんな厳しい合宿であったが、練習だけではなく食事や睡眠、身体のケアなど、速く走るには何が必要であるかを学ぶことができ、とても貴重な機会であった。走ることは奥が深い、とますます好きになり高校でも走ろうと決めたという。

<第二話へつづく>


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次回は、2015年12月20日開催、ジョギングイラスト男女1.jpgのサムネイル画像のサムネイル画像
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