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【輝く女性ランナー】VOL.8 楠瀬祐子さん⑫

 < 第12話 >

楠瀬祐子さん<第11話>を読む


ウルトラマラソンへのチャレンジ

2012年11月23日に国際ランナーの仲間入りをした楠瀬である2014年野辺山ウルトラ.jpg
が、ウルトラマラソンでも活躍している強いウルトラランナーでもある。2014年は2レース走り、チャレンジ富士五湖ウルトラマラソン(100キロ)で3位、野辺山ウルトラマラソンで6位にそれぞれ入賞している。

楠瀬にウルトラマラソンにチャレンジしたきっかけを聞いたところ、
「初マラソンで、自分は長い距離が得意だと勘違いしました。子供の頃から短い距離が大の苦手だったけど、初マラソンでこれだけ走れたのだから、もっと長い距離なら勝負ができると思ったのです。」と答えた。
「練習仲間にウルトラマラソンを走っている人がいて、話を聞いているうちにチャレンジしたくなり、初フルの半年後の2012年
4月のチャレンジ富士五湖ウルトラマラソン(100キロの部)にエントリーしました。」


しかし、ウルトラマラソンはそんなに甘くはなかった。楠瀬はレースについて語り始めた。

「始めは1キロ5分半ペースで気持ち良く走り始めましたが、その時の私には明らかにオーバーペースでした。ただその時はそんなことも考えず気持ちの赴くままに走っていました。50キロ通過時、このまま行けばサブ10できてしまうのでは!なんて甘い考えが浮かんできましたが、51.5キロ付近の激坂でペースがガクッと落ちました。腹痛も何度も襲ってきて、そこからは我慢のレースになりました。

70キロ付近の本栖湖エイド折り返しからは脚が思うように動かなくなり、エイドでしばらくしゃがみ込んでしまいました。80キロからは歩いたりゆっくり走ったり。途中から雨も降ってきました。脚だけでなく、腹筋、背筋、腕と、全身が痛くなりました。とにかく痛すぎて、歩くこともままならず、立ち尽くしては歩くの繰り返し。雨はドンドン強くなり、歩いても歩いても全く伸びない距離に苛立ち、立ち尽くして『もう嫌だ~!!』と泣いてしまう状態でした。でも、泣いてもゴールは近付いてはくれないからと足を進めました。

そんな状態の私を見て、『ここまでよく頑張ったね!』って抱きしめてくれたランナーがいましたが、今思うと、あまりにも酷いボロボロの状態だったから、リタイアすると思ったのかもしれません。一緒に参加し、リタイアしてしまった会社の仲間は、膝のサポーターやエアサロンパスを持って駆けつけてくれました。いろいろな人に助けられながら13時間05分39秒(制限時間14時間)でゴールしました。その瞬間は感動と言うより、もう走らなくていいんだ・・・という安堵感から更に涙が溢れてきました。」

2014年富士五湖ウルトラ.jpg楠瀬は続けた。

「欲深い私は、初ウルトラであわよくばサブ10(10時間切り)と思い、大撃沈しました。レース前に練習で50キロ走を2回行ったことで少し自信を付けていましたが、100キロを走り、自分の走力の無さを実感しました。今までの人生でこれ以上苦しかったことはありませんでした。だからこそ、その後のどんなに苦しい練習やレースでも、あの時と比べれば!とこれまで頑張って来られました。」

この年のチャレンジ富士五湖ウルトラマラソンは、10時間以内でゴールしたランナーにとっては走りやすいレースであったが、15時頃から降り出した雨により、初挑戦の楠瀬にとっては非常に厳しいレースになったのだ。しかし、楠瀬が語ったような酷い状態になりながらも完走したのだから、高校時代の『根性の二文字を忘れない』は今でも生き続けているのだろう。

ウルトラマラソンは走力だけではなく精神力や経験がものをいうレースである。楠瀬は大撃沈しながらも完走したことで、ウルトラマラソンを走る上で大事なことをいくつも学ぶことができたのだ。

< 第13話へつづく >

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