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【輝く女性ランナー】VOL.8 楠瀬祐子さん⑥

 < 第6話 >

楠瀬祐子<第5話>を読む


直前の故障にも決して諦めることなく大阪国際女子マラソンのスタートラインに立ち、根性で走りきった楠瀬祐子であるが、もう気持ちは次のレースに向かっている。

第5話までの紹介を読んだ方は、女性でサブスリーを狙うなんてきっと学生時代から陸上競技をしてきたのだろうと思われるだろう。しかし、彼女が本格的にランニングを始めたのはまだ5年ほど前のことである。これほど短期間でサブスリー直前まできたのは誰にも負けない根性、そして仲間に恵まれたからである。

幼少期の楠瀬は当時の画像を見ても分かるとおり、今と変わらず人懐っこい笑顔の幼い頃2.jpg
少女であった。男の子に混じって毎日走り回っていたという。また、保育園の頃から、自宅のある多摩市から近い山に家族揃って毎週のように散歩に行っていたことから脚力が強くなったのではないかという。楠瀬はこんな話をしてくれた。「多摩市の子は脚が太いと聞いたことがあります。なぜなら、坂道ばかりなので普段の生活で脚が鍛えられるからです。」

中学に入り、走ることが好きで楠瀬は陸上部に入ったのだが、短距離は遅いので中長距離で頑張ることにした。期待に胸を膨らませて部活に参加した楠瀬であったが、参加者が少なくガッカリしたという。当時、この部は帰宅部の巣窟と言われていて、部員は多いのに練習にはほとんど来ない。また、顧問も名ばかりであったので誰からも教わることもできずに、参加している少ないメンバーで好きなように校舎周りを走っていた。

幼い頃1.jpg年に数回開催される市内大会で初めてスパイクを履き、普段練習したこともない800mに出場する状態だったから、全国大会はおろか県大会とも無縁の中学時代であった。しかし、校内マラソン大会で学年女子3位に入賞できたのは良い思い出だという。このとき走った3.6キロが、30歳になって走り始めるまでの人生最長距離であった。

当時の楠瀬も今と変わらず情熱の人であったので、中学時代は不完全燃焼であった。もっと一生懸命熱い青春時代を謳歌したかったのにできなかったのだ。

そして、高校に入学した楠瀬は、個人スポーツではなく団体スポーツなら青春できると考えバレー部へ入部。しかしながら、その高校は都立の弱い学校であったため、部員の気持ちの持ち方もバラバラであったという。当時のことを楠瀬はこう振り返った。

「やる気はそれぞれだったけれど、同じような気持ちを持った仲間もいたので、高校バレー部.jpgのサムネイル画像
放課後の部活動以外に少人数で朝練もしていました。時には自分一人だけで朝練をしていたこともあります。その時はひたすら壁打ちやサーブ練をしていました。1年生は大幅に伸びると言われた夏合宿で、先輩からはすごく伸びたね!と言ってくれたけど、自分はもっと上手になれると思っていたので悔しくて泣いたこともありました。先日見つけたこの夏合宿のしおりに書いてあった自分の目標は、『根性の2文字を忘れない』でした。この頃から、熱い性格は変わっていないようです。」

高校1年生の時に、『根性の2文字を忘れない』と書いた楠瀬だったが、その時の気持ちは十数年経った大阪国際女子マラソンでも忘れることはなかったのだ。また先輩から上手になったねと言われても、悔しくて泣いてしまったことも今とまったく変わっていない。楠瀬は当時から理想や目標が非常に高く、そこに向かってとことん頑張りたいのだ。つくばマラソンで自己ベストを大幅に更新し3位入賞したのに、目指していたサブスリーができなかったと悔しくて泣いてしまう。だから伸びるのだろう。

そして、楠瀬はこの努力と根性を買われ、初心者で入部したメンバーの中では唯一、1年生でレギュラーに選ばれたのだ。当時から背の高かった楠瀬のポジションは、ブロックで力の発揮できるセンターであった。当時の試合のことを思い出しながら楠瀬はこう話した。

「今も気持ちが顔に出やすいと言われますが、それは当時からのようで、表情だけではなく全身から気持ちが出ているため、試合中は私の調子が上がるとみんなも上がり、私が下がると周りも下がるという雰囲気を作っていたようです。良い意味でも悪い意味でもムードメーカーと言われていました。3年間良い結果は残せなかったけれど、部活に夢中になっていた楽しい高校生活でした。」

    幼い頃4.jpgのサムネイル画像   幼い頃5.jpgのサムネイル画像

< 第7話へつづく >

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