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【市民アスリート紹介】VOL.1 佐熊康生さん②

【初めてのフルマラソン】


そして、いよいよ2007年2月18日の東京マラソン本番を迎えた。ジョギングの効果で佐熊さんの体重は、8kg減り70kgとなったので、かなり軽く感じたという。当時はペース配分とか給水とかよく分からなかったので、スタート後は練習で慣れている1キロを5分のペースで淡々と走ってみた。

しかし、フルマラソンは、そんなに甘いものではなかった。
途中から呼吸は苦しいし、膝は痛いし、過去に経験したことがない苦行となり、入金期限ギリギリまで出ないつもりだったのに『自分のメモリアル』とか言って、入金してしまった「自分のノリの良さ」を恨み、佐熊さんは走りながら、「もう二度と走らない」と再び心に誓った。

東京マラソンラン.jpg

ゴールの瞬間に感動はなく、「もう走らなくていいんだ」という安堵の気持ちしかなかったという。嬉しさはほとんどなく、苦痛以外の何でもなかった。それでも、39歳で迎えた初マラソンを3時間28分5秒で走破し、いきなりサブ3.5を達成するのだから驚きの能力だ。

それから2~3週間は、日常生活にも支障をきたすくらい身体はひどい状態のまま。
「二度と走らない」と決めた気持ちは変わることはなかった。そして、普通に動けるようになると、サーフィン三昧の生活に戻ったが、「30代最後にフルマラソンを完走したという思い出が出来て良かった」という程度にしか思っていなかったそうだ。

そんなサーフィン三昧の生活を送っていると、
スポーツクラブで、例の友人から
「初めてのフルマラソンを3時間28分で走れたのだから佐熊さんは凄い才能があるよ。もっと過酷なウルトラマラソンもきっと走れるはずだよ。富士五湖で72キロのレースがあるから一緒に出よう」とまた誘われた。

最初は固辞したが、才能があるとおだてられた
ことから40歳になった自分のメモリアル』としてチャレンジ富士五湖ウルトラマラソンの72キロにエントリーを決めたという。

話は少し逸れるが、
佐熊さんはサーフィンを若い頃からしていた訳ではなく、始めたのは、レーシングカートを止めた37歳以降。初めてサーフィンをやったのは、台風が接近し大きな波が立っている鹿島灘にベテランの友人に連れて行かれた時。

友人は、最初簡単にレクチャーをしてくれたが、その後は自分で練習するようにと言って、
次から次へと寄せてくる大きな波に上手に乗っていた。佐熊さんは、その友人の姿を見ながら自らも大きな波に乗ろうと試してみるも、初心者がそう簡単にできるわけがない。

何度も波に揉まれ、
何度も何度も波に叩き潰され、幾度となく死の恐怖を味わったという。その時、佐熊さんは「二度とサーフィンなんてやるものか!」と決めたが、3日ほど経つと何か悔しくなってきたという。

「波に揉まれたままで終わって良いのか・・・・?」

簡単に言うと、出来ないまま終わるのが嫌なのである。
その友人に上手に波に乗れるようになった自分を見せたいわけでもなく、友人より上手くなって見返したいわけでもない。人に負けるのが悔しいという感情はないが、「出来ないまま終わることを受け入れる自分が嫌だったのではないかな」と当時を振り返って、佐熊さんは笑った。

面白いのは、彼がとった次の行動である。
すぐに自宅から通いやすい湘南海岸でサーフィンを教えているサーフィン教室をインターネット検索し、やる気を出すために綺麗な女性インストラクターを選んで、基礎から何度か教えてもらった。基礎から学んだことで次第に上達し、それからしばらくはサーフィンに熱中したという。

このように佐熊さんがチャレンジ富士五湖ウルトラマラソンへエントリーをしたのは『ノリ』だけではない。サーフィンで「波に揉まれたままで終わって良いのか?」と考えたのと同じように「脚が痛いままで終わって良いのか?」という気持ちが沸々と湧き上がってきたからだ。

脚が痛いから走るのを止める自分が嫌であり、きちんと走れるようになりたかったのだ。そして、エントリーを決めると、すぐに、なぜ身体が痛くなるのか考え、痛みなく走り続けるためには、ガニ股の骨格の改善が必要と考えたという。

富士五湖ラン.jpg

そして、評判の良いカイロ系のトレーナーを、佐熊さんは自分で探して、
すぐに予約をとり相談し、ガニ股の調整だけではなく全身の骨格アライメント調整もおこない、さらには、オリジナルのオーダーインソールもチャレンジ富士五湖前に作ってもらったというから、その徹底ぶりには舌を巻く。

4月に入ってから、1キロ5分ペースの練習を再開。
東京マラソン前と同様に1週間に4回10キロを走る練習を1ヶ月行っただけでウルトラマラソンのレースに臨んだ。

2007年4月29日のレースでは、月2回、骨格のアライメント調整を施してもらったからか、
東京マラソン時のような膝の痛みはなく、苦しくもなかった。よほど余裕があったのか、テレビ電話に富士山を映しながら友人と話しながら楽しく走りきることができた。タイムや順位は正確に覚えていないが、7時間半で順位は30番位だったらしい。

2007fuji5ゴール縮小.jpg

佐熊さんは、三度目のレースにして初めて、「もう二度と走らない」と思わないで、ゴールできたのだ。それも72キロの距離である。当然な心理だが、長い距離を走る練習もしていないのに走れたことに彼自身がとても驚いた。東京マラソンでフルマラソンを完走したことで脚が出来上がっていたからだと佐熊さんは簡単にそう考えた。

そして、脚の痛みがなくウルトラマラソンを走れたことで、ランニングへの興味は簡単に薄れ、また、サーフィン中心の生活に戻った。そして、9月末までジョグを週一回するかどうかという生活を送っていたのが彼のアラフォー時代だった。

◇ ③へ続く ◇


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