【輝く女性ランナー】VOL.3 有間由佳さん⑪
<第十一話> 念願の世界大会
24時間走世界選手権の切符を手にした有間由佳(敬称略)であったが、スイス大会は主催者の都合により中止になってしまった。そのときの気持ちを有間はこう語った。
「憧れのスイスに行けると思っていたので中止となりびっくりしましたが、来年は挑戦する意欲は湧きませんでした。一度走ってあの過酷さを味わい、一度心を休めたいなと(笑)。けれど、24時間走こそ40代の年齢からでも誰でも挑戦できる、可能性のある競技だなと思いました。」
24時間走を走って、余程このレースのキツさを知ったのだろう。
ただ、彼女はそこで次の目標を見つけた。サロマ湖ウルトラマラソンの50キロで優勝すれば50キロの世界大会に参加できることを知ったのである。
有間は世界大会を目指してこんな練習をしたという。
「そのとき実業団陸上部のマネージャーをしていたので、週に3、4日ジョッグを10kぐらいする程度でした。レースの1ヶ月前から100mぐらいの気持ちいい流しをジョッグの中で10本ぐらい入れていましたが、特にスピード練習はしませんでした。会社の地方のマラソン大会に呼んで頂いたり、自身でも毎年千歳、天草、東京、別府、沖縄のマラソン等に出場していたので長い距離はレースで練習するという感じでした。」
そして、2011年6月26日に開催されたサロマ湖ウルトラマラソン(50キロの部)へ出場。有間は、2位に10分以上の大差をつけて3時間38分47秒で優勝を飾り、世界大会の切符を手にしたのである。
実業団時代に経験したことがない日本代表になった時の心境をこのように語った。
「日本代表という感じは全くなかったです(笑)。とにかくオランダに行けることが嬉しくて、ご褒美レースとして後は楽しむぞとわくわくでした。」
2011年8月20日、オランダのアッセンで行われた50キロの世界大会「IAU50kmワールドトロフィー・ファイナル」で、有間は今度こそ世界大会へ出場した。そして、サロマ湖で出したタイムを10分以上更新する3時間28分06秒で4位入賞を果たした。初めて日の丸をつけて走れると思ったら、その年は残念ながら日本代表のユニフォームの配給はなく、自分のウエアで走ったという。当時のことを有間はこう語った。
「初のヨーロッパで最初はかなり浮かれていました。オランダ隣国のベルギーに観光へ行ったり、美味しいものを食べ過ぎて苦しかったのはよく覚えています(笑)。
けれど、一緒に出場するメンバー二人と現地集合だったので移動や治安などの不安もありました。オランダでも地方に行くとホテルや駅でも英語が通じず、オランダ語でのやりとりがうまくいかず夕食がとれなかったり、レースのコースは果たしてどこなのか、また、スタート1分前にスタート地点が違う場所であると気づき慌てて移動したり(笑)。
何よりガイド本を片手に電車やバスを乗り継ぎ、やっとこさ現地にたどりついてメンバー二人と合流した時は嬉しくて涙が出たことも鮮明に覚えています。本当に子供のはじめてのおつかい状態でした(笑)。レース以上に色んな意味ですごく価値のある一週間で、とてもいい経験ができた楽しい思い出です。」
その後、有間は陸上部のマネージャーの任期を終え、九電工新規事業のオリーブ
専門店の店長に一年半就任した。東京にも9ヶ月間出店し、店長業に夢中になった。有間はまた走ることから自然と遠ざった。
「陸上から離れているのにも関わらず、以前お世話になった実業団関係の方々や市民ランナーの方が毎日のようにお店に顔を出しにきてくれました。売上はともかく、美味しいデザートの差し入れは、デパートでダントツNO.1だったと思います!(笑)。その時ランナーは本当に熱いな、ありがたいなと感じました。初めて九州からでた私にとっては本当に心強く、救われました。」
その後、有間は結婚を機に退職をし、幸せな生活を送るようになった。