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【輝く女性ランナー】VOL.9 田村瑠紗さん④

 < 第4話 > 

田村瑠紗<第3話>を読む


ランステイベントをきっかけにして仲間が増えてきた田村瑠紗は再びランニングが楽しくなってきた。その後、仲間が企画したマラニックを楽しむなど週末になると1日中走っていた。マラソン大会のようにタイムを追うのではなく仲間と話しながらのんびり走るマラニックはとても楽しかったが、長い距離を走ることで段々と田村の走力は向上していった。

そして、田村は自分を苦しめた42.195キロの先の世界を見たいとウルトラマラソンにもチャレンジするようになる。2011年9月に開催されたゆめリレー湘南平塚の個人12時間走では93.42キロを走り2位入賞を果たしたのだ。

またランニング仲間との交流の中で、タイムの速い女性は3時間15分が参加資格である国際女子マラソンを目指していることを知った田村は、生まれながらに持っている『誰にも負けたくない』という闘争心に火がつき始めたのだ。

田村さん7.jpgのサムネイル画像そして、田村はインターバルトレーニングをはじめた事で徐々にスピードがつき始めた。そして速いペースでも終盤落ちないように30キロ走にも取り組んで、2011年11月開催のつくばマラソンのスタートラインに立った。そのレースで田村は3時間19分19秒と、自分でも驚くようなタイムで走りきったのだ。

当時は、まだ国際女子マラソンの参加標準タイムである3時間15分を切れるとは思っていなかったが、3時間20分を切ったことで田村は「これはいける。絶対にいきたい!」と強く思うようになっていった。

話は少し逸れるが、このレースで私(筆者)は友人のペーサーをしていた。友人は当時3時間29分台のタイムであったので、3時間20分切りを目標に走りハーフ通過は1時間39分26秒であった。後半ハーフもほぼイーブンで走り、グロスタイムは3時間20分40秒台であった。
田村がこのレースを走ったと聞いた私は当時の記録を検索すると、田村のハーフ通過は1時間43分39秒で私たちより後方にいた。しかし、後半ハーフを1時間35分40秒と前半より約8分ビルドアップしたのだ。私は抜かれた記憶はもう残っていないが、おそらく35キロから40キロの間に抜かれたのであろう。田村は女子の部で97位であったが、1秒差の98位は現在トレイルレースやウルトラマラソンで活躍するランナーであった。おそらくゴール直前に抜いたのであろう。


つくばマラソン翌月に開催された葛西ポノルルマラソンを走った田村は、田村璃紗1.jpg
3時間12分52秒で優勝を飾った。公認大会ではないが3時間15分を切ったことで国際女子マラソン参加資格がぐっと現実的になったのだ。

さらにその翌月の勝田全国マラソンでチャレンジすることにしたが、1月に入ってから故障で練習出来ない日々が続いた。なんとか走れるようになったのはレース直前。練習出来ていない不安から、レース一週間前に20キロ走を行うなど完全に調整不足のままレース当日を迎えた。

なんとその勝田全国マラソンで、田村は一気に資格タイムである3時間15分を切ったのだ。タイムは3時間11分21秒であった。当時のことをこう振り返った。

「勝田を走り終わった後は、15分切れちゃった!って感じでした。調整していればまだ行けるなという手応えもありました。また、名古屋ウィメンズにエリートで出走出来ると分かり、締め切りギリギリでしたがエントリーしました。」

名古屋ウィメンズにエントリーした田村は一気にサブ3を目指すことにしたという。3時間10分も切ったことないのにいきなりサブスリー目指すとは驚きだが、当時の彼女にはそれくらい勢いがあった。

「目指すというよりは走りたいという気持ちだけで、サブ3を目指す練習はしていなかったです。でも、名古屋の前の30キロ走はいつも一緒に練習している仲間にペーサーをしてもらって4分20秒ペースで出来ていました。名古屋は3時間切れればいいなくらいで走りました。」

(インタビュー・文章 新澤英典)

< 第5話へつづく >

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