【輝く女性ランナー】VOL.5 伊藤あんなさん⑤
< 第五話 > 国際ランナーへの道
フルマラソンでサブ3.5(3時間30分切り)を達成した伊藤あんな(敬称略)。
その頃から、世界陸上を走った岡本治子コーチについて練習メニューを作ってもらうようになった。
そして、アミノバイタルAC(現プーマRC)の仲間らと、練習会以外でも一緒に練習することで力を付けた伊藤は、2011年11月の大田原マラソンで"国際ランナー"(※ページ下に解説あり)の扉を開けるべく挑んだ。
レースの時のことを、彼女はこう語った。
「レー ス前に友人から、大田原マラソンは後半登るから前半貯金を作って食いつぶせと言われていたので、序盤は少し速めに入って中盤からの上りはペースダウンを最小限に抑えるように耐えました。競技場に入ったところ、知り合いが立っていて大きな声で『切れるよ!!』って言われて、半べそをかきながらゴールまで最後の力を振り絞ってダッシュしました。」
見事3時間13分59秒の好タイムで、国際ランナーの仲間入りをしたのである。
10キロ 44分54秒
20キロ 45分36秒
(ハーフ通過タイム 1時間35分23秒)
30キロ 45分52秒
40キロ 47分09秒
ラスト2.195キロ 10分28秒
ゴールタイム 3時間13分59秒
こ の時のことを私(筆者)はよく覚えている。私自身が、11月27日のつくばマラソンで3時間15分切りを狙う友人の ペーサーをするため、応援には行かずに自宅で疲労回復のためにゆっくりしていた。ただ、彼女のレース経過が気になるので何回もランナーズアップデートで確認し ていた。『良い入りだ!』『そこは耐えて!』なんて思いながら40キロ通過が3時間03分31秒であったので、『よし!間に合う!!』と彼女の伸びやかな走り をイメージしながら応援していたのを思い出した。
その後、彼女は2012年の別海パイロットマラソンにおいて、3時間12分15秒で3位入賞。
2014年の名古屋ウイメンズマラソンでは、自己ベストを更新し、夢であった一桁代のタイムを手に入れた(3時間08分25分)。彼女は語った。
「子どもの頃は強制的に走らされたから嫌いでした。でも、今は自分の意思で走っているから、好きだし続けられています。しかし、考えてみれば、ランニングに出会えたのは親のお蔭なので、今は素直に子供のころ強制的にやらさせてくれた事を感謝しています。国際ランナーの資格も絶対手に入れられないと思ったけれど、出来たのもトレーナーや親のサポートが今まであったからです。うちの親は親戚に、私が国際ランナーだということを自慢するんですよね。恥ずかしいけれど、幼い頃はあんなに運動神経が悪かった娘が国際ランナーになったのは嬉しいでしょうね。勿論、私も嬉しいし、たまに自分でも信じられません(笑)。」
彼女は細く手足が長く見るからに速そうですから、彼女を見たランナーの多くは彼女には才能があるから国際ランナーになれたと思うでしょう。
でも、彼女の才能は"努力できる才能"ではないだろうか。
彼女の仕事は激務であり、当時の彼女は毎日深夜帰宅であったと聞いていた。それなのに、時間を見つけて練習していた。仕事を抜け出して練習してから仕事に戻ったりもしていたという。
「ラ ンニングを通して、自分はストイックだと気付いた。徹夜で仕事したりして疲れているのに、週末に20キロ走とかするのですから。練習会で20キロ走とかした後に、そのまま10キロ続けて走ったりもする。なぜ頑張れるかというと、走ることは自分にとって自信だからです。最初は出来なくても、頑張ればできるようになることを経験したからです。」