【輝く女性ランナー】VOL.5 伊藤あんなさん①
< 第一話 > 幼少時代
VOL.5では、『伊藤あんなさん』をご紹介します。
伊藤あんなさん(以降 敬称略)は、11月16日開催の今年最後となる
横浜国際女子マラソンへ出場する市民トップランナーです。また、昨年の
東京柴又100キロマラソンでは、過酷な暑さの中で10時間を切る
9時間44分台で走り6位入賞するなど、様々なレースで活躍しています。
しかし、今では参加標準が高い国際マラソンを走る彼女も、昔からアスリートだったわけではなく、以前はタバコを吸いジャンクフードが大好きで健康に無頓着な生活を送っていたという。そんな彼女が、どんなきっかけで国際マラソンを目指すようになったのかをインタビューしました。
幼少時代
伊藤は、父の海外赴任により4歳の時にニューヨークに渡った。
そして、9歳までニューヨークで暮らした。
学校は日本人学校ではなく現地の学校に通ったので、
日本語はまったくダメであったという。母親は英語が全く
喋れなかったので、家では 自分は英語で話し、父親は
英語と日本語を話し、母親は日本語で話すというやや
不思議な環境の中で幼少期を過ごした。
運動神経は鈍く、球技に至っては怪我をしそうで見ていられないと
父親に言われるほどであったが、彼女は動物が好きだったので
5歳から乗馬を始めたという。
そして、9歳の時に日本に戻り、調布のアメリカンスクール
インジャパン(ASIJ)に入学した彼女は、乗馬クラブのある
千葉まで週末通いながらしばらく続けた。
だが、彼女の親は学校のクラブ活動もやるべきだと考え、
12歳の時、父親は嫌がる伊藤を強制的にクロスカントリー
ランニングクラブに入れた。当初ランニングが嫌いだった上に、
競争相手はほとんど自分より身体が大きくて速い白人や黒人
ばかりだったので全くついていけなく、つまらなかったという。当時の思い出は、ただ外国人の大きい背中を必死に追っかけて
いただけ。辛いと思っていたランニングは好きになれなかったが、
親の言いつけを守って学校のランニングクラブ活動は続け、
13歳からはトラック競技の1200m走をメインにし、
高校2年生まで続けた。
伊藤にクロスカントリーランニング を奨めた父親は、ニューヨーク
シティーマラソンを走るなどランニング好きであったそうだ。
当時は速くなかったかもしれないが、この頃走っていたことと、
幼い頃から乗馬を続けたことが今の伊藤あんなの土台になって
いるのであろう。
☆~・~・~ 思い出写真館 ~・~・~☆