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【ウルトラランナー】VOL.2 大島康寿さん⑥

 < 第6話 >

大島康寿<第5話>を読む


神宮外苑24時間チャレンジで252キロを走り、日本代表としてIUA24時間走大島さん6.jpg
世界選手権を走る大島康寿は長い距離が強いだけではなく、フルマラソンを2時間32分44秒で走るスピードランナーでもある。

大島が陸上を本格的に始めたのは高校時代であるが、小学校時代から地域では脚が速いことで有名な少年であったという。なんと、小学校のマラソン大会では6年連続優勝し一度も負けることなく卒業した。また父親の影響で子供の頃から野球を始め楽しくて仕方がなかったという。当時をこう振り返った。

「父親は野球バカを絵に描いたような人でした。そんな父親と一緒に将来のプロ野球選手を目指して毎日朝練と夕練を欠かさずやったことで全国3位になりました。自分も野球は大好きでしたので一生懸命練習しました。その練習によって足腰が鍛えられたのだと思います。足も速かったので小学校の先生からは中学校では陸上をするよう薦められましたが、父親が許すわけもなく自分も野球が好きだったので、中学でも野球部に入りました。」

中学校で野球部に入った大島は、練習に明け暮れる毎日を送り、県大会でベスト8に入り、そのまま高校でも野球を続けるつもりでいたという。

そんな大島に転機が訪れた。地区の駅伝大会は通常なら陸上部のメンバーで構成されるが、校内マラソン大会で陸上部の生徒より速く走った大島に白羽の矢がたったのだ。当時、陸上競技の練習はしていないのに1500mを4分40秒で走っていたのだから相当速い中学生であったのだ。そして、その駅伝大会で区間新記録を樹立したのが、陸上の名門校である佐野日大高校の監督の目に止まりスカウトされたという。大島の父親は高校でも野球を続けて欲しいと言ったが、大島は高校では陸上を頑張りたいと父親に話し、父親も納得した。

大島の入った佐野日大高校は全国高校駅伝の常連校であり練習も厳しかったという。
当時の練習について大島はこう振り返った。

大島さん20.jpg「練習は毎日、授業前と授業後の二部練でした。ポイント練習は週2回で主に16000mペース走(1キロ4分ペース)と4000m×3本(1キロ3分20秒)や1000m×5本(3分)のインターバルでした。特に4000m×3本をキロ3分20秒ペースでまわすのは高校1年の時にはキツかった。」

大島が1年生の時に佐野日大高校は全国高校駅伝出場を果たした。その駅伝の華の1区で区間2位に入った山本先輩の素晴らしい走りを見て、自分もそうなりたいと一生懸命練習をしたという。しかし、練習のやりすぎで完治まで2ヶ月ほどかかる疲労骨折をしてしまうなど高校3年間のうち半分は故障していた。その時のことを大島は思い出しながら語った。

「故障すると悔しかったのと、周りに置いていかれると焦りました。そんな時は学校のトレーニングルームに籠って一生懸命トレーニングしていました。しかし、治って走れるようになり良いタイムが出てこれからと思うとまた故障、その繰り返しの高校時代は辛い3年間でした。ただ5000mのタイムは1年生の春、16分15秒でしたが3年生では15分30秒で走れるようにはなりました。故障がなければもっといけるという気持ちは持っていました。」

< 第7話へつづく >

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