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【ウルトラランナー】VOL.2 大島康寿さん⑨

 < 第9話 >

大島康寿<第8話>を読む


高校時代、そして大学時代と陸上に打ち込んだが、目立った成績を残すことができないまま一度は陸上競技から離れた大島であったが、ウルトラマラソンに舞台を移したことで遂に日本代表の座を獲得した。

このレースで大島は、前年のサロマ湖ウルトラマラソンで失速した終盤の走りを大島さん8.jpg
課題とし中盤までは淡々と走った。50キロ通過は前年より僅かに遅い3時間19分38秒(前年は3時間18分28秒)であったが、その後は前年90キロ以降に失速した反省のもと無理をしないで緩やかにペースを落としていった。

そのため、90キロ通過は前年より5分遅い6時間28分33秒(前年は6時間23分33秒)であったが、90キロ付近の最後の折り返しで、前を走る松下剛大選手との差を図ると一気にスパート。松下選手を抜き去って2位に浮上し、そのままペースを緩めずゴールしたのだ。ラスト10キロのラップタイムは44分25秒(前年は57分)であった。


念願の日本代表としての初舞台は、2010年3月27日に韓国の済洲島で開催された『第1回アジア100kチャンピオンシップ』であった。

コースは、朝6時に済洲島の龍頭岩地点をスタートし時計回りに走り、ゴールは西海岸の西帰浦ワールドカップ競技場。小刻みに続くアップダウンに加えて、絶え間なく向かってくる風に大島も苦しめられたが、着実に走り3位でゴールしたのだ。銅メダルを獲得した大島は、この時のことをこう振り返った。

「100キロの世界チャンピオンになった宮里君も出場していましたが、アキレス腱を痛めていた事もあり、日本チームを優勝させるために彼がラビットとなり他国の選手をかき回してくれてチームを優先してくれた。とても感謝しています。」

また、2010年の第1回アジア100kチャンピオンシップを前にして、大島はさらに長い距離へのチャレンジを決めていた。100キロの日本代表に加えて24時間走での日本代表を狙って、2009年9月12~13日開催の『神宮外苑24時間チャレンジ』へエントリーしたのだ。

自信を持って大会を迎えた大島であったが、24時間走は100キロとはまったく別物であり、12時間経過時点で走れなくなり130キロほどで初めての24時間走は終了した。自信を持って挑んだだけに大島のショックは大きかった。

大島さん11.jpg「24時間走で誰が強いのか?など全く知らず、ある程度走れるだろうと舐めていました。当時は、ペース配分などお構いなしで行けるとこまで行く事しか考えていなかった。走り込みも殆どせずに大会に出場していました。」

その後、大島はギリシャのアテネからスパルタまでの246キロを走る歴史あるウルトラマラソンである『スパルタスロン』にチャレンジしたいと考えるようになった。そして、2011年大会に出ることを決めた大島は、スパルタスロンと距離および制限時間が近い『さくら道国際ネイチャーラン』を走ったが、非常に厳しいレースとなり80キロ以上歩いて制限時間ギリギリでゴールした。

しかし、このレースはスパルタスロンを走る上で様々な経験をすることができたという。距離や累積標高への対応だけではなく、補給食や気温の寒暖差への対応など、スパルタスロンを走る上での課題が浮き彫りになったのだ。

< 第10話へつづく >

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