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【ウルトラマラソンランナー】永田務さん⑫

 < 第12話 >

永田務<第11話>を読む


そして挑んだ2013年サロマ湖100kmウルトラマラソン。
この大会は、100km世界選手権の日本代表選考会を兼ねているのだが、残念ながら、この年は開催地の情勢不安で派遣見送りとなり、レース前に世界選手権の代表選考レースではなくなってしまった。しかし、永田は自分の復活を示すために懸命に走った。

当時の10キロごとのラップは以下の通り永田さん第12話-3.jpg

39:57 - 38:34 - 38:54 - 39:19 - 39:54
39:05 - 40:37 - 40:57 - 41:48 - 45:28

このレースは私(筆者)も走ったのだが、5時のスタート時は涼しく走りやすかったが太陽が高くなってきた午前10時頃から気温がぐんぐん上がる厳しいレースになった。大会ホームページに、レース当日の気温は最高気温23.7℃ 最低気温11.0℃と記されているが、コースの大半が日差しを遮るものがなく体感温度は非常に高い。私は、中盤から2.5キロごとに設置されたバケツの氷水を被りながら走ったほどである。


レースは序盤からエリック・ワイナイナ選手が飛び出し、フルマラソン通過が2時間34分34秒と100キロ世界記録更新を意識した非常に速いペースで走り、能城選手、山添選手が続いた。永田は重見選手とともに2時間45分17秒で通過したが、この辺りでは余裕を持って走っていたという。永田は、そのまま重見選手と一緒に先攻するランナーを追いかけ、80キロのワッカ手前からは徐々に遅れたものの、6時間44分33秒(平均ペース キロ4分02秒7)で能城選手、重見選手に続き3位入賞を果たしたのである。

永田さん第12話-2.jpg実は、永田の100キロマラソン完走はこの時が初めてなのだ。過去2回走っているが2回ともリタイアしている。彼は、ケガをする前は5000m14分前半で走る速いランナーではあったが、強いランナーではなかった。2010年のサロマ湖では、日本代表を狙ってトップ集団を走るも、集団から遅れると諦めてしまったのだ。その永田が大事故を乗り越えて走ったレースで完走どころか3位入賞したのだから稀に見る強いランナーになったのだ。

永田は当時のことを思い出しながらこう話した。

「リタイアした前回と同じペースでしたが今回は走りきれました。ケガをしたことで、気持ちは以前より間違いなく強くなりました。また、今回はどうしても走りきらなきゃいけないという気持ちでした。家族の笑顔が見たかった。特に両親の笑顔が見たかった。親父は私が病院に運びこまれたとき冷静に声をかけてくれましたが、とても心配をかけました。母親は手術中ずっと泣き叫んでいたと聞きました。親不孝な自分が親にもう大丈夫だよ!俺はまたここから頑張るよ、と言える場所がサロマでした。」

永田からレース展開について言葉が出てくると思っていたので不意打ちを永田さん第12話-1.jpg
喰らった。思わず目頭が熱くなってしまった。でも、このレースは永田にとって『俺はもう大丈夫だよ!!』と両親に告げるための特別な
レースであったのだろう。

そして永田は続けた。

「ケガをしてウルトラマラソンに対する気持ちが変わりました。ケガをする前は5000mがメインでしたが、今はウルトラマラソンのためにスピード練習があります。フルマラソンも走りますが、それもウルトラマラソンのためです。また昔は優勝しか頭になかった。その目的が達成できないと分かると諦めました。今は調子が悪くても絶対に止めません。意識がなくなるなど意思と反して終わるなら仕方がないが、止めることは自分の存在がなくなることと重く考えています。応援してくれる人に対して止めることは許せないことです。」

< 第13話へつづく >

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