ページ内を移動するためのリンクです。

【ウルトラマラソンランナー】永田務さん⑪

 < 第11話 >

永田務<第10話>を読む


永田がケガをしたのは右腕であるが、皮膚や筋肉の移植のために脚にもメスを入れたこと、そして運動できない期間が長かったことから走れるようになるまでに永田が行った努力は本人以外には決して分からないだろう。また、努力などという言葉を使うこと自体が非常に軽く感じてしまう。

しかし、子どもが日々成長するのと同じように、永田にとっては自分自身が成長しているのが毎日分かるのだから楽しかったのかもしれない。当時のことを彼はこう話した。

「たくさんの虚しさ、歯痒さを感じました。ですが、ゲームをしている気分でした、『レベル0からの・・・』
あまり走ることに対して努力とかそういう風には考えていませんでした。走りたいから走る。走れないなら走れるようになるまで練習するだけ。」

『走りたいから走る。走れないなら走れるようになるまで練習する』という言葉にすべてが詰まっているのだろう。


そして、悪夢のような事故から約2年経過した2012年10月、永田さん第11話1.jpg
永田はついに復活の狼煙を上げたのだ。

永田は、ケガをする前に走っていた新潟県縦断駅伝を走ることになったのだ。そして、彼の復活を待ちわびた仲間が村上市代表チームのアンカーにしてくれたのだった。永田は15キロのアンカー区間を走って、26チーム中7位で走ったのである。

そのレースについて永田は語った。
「レース前の練習でも、まったく走れるイメージはありませんでした。ただ村上市がメンバーとして呼んでくれて嬉しかったです。レース中は今の状態の精一杯の走りをしました。一斉スタートとなり、ヨーイ・ドンでした。まずはここで1位になろうと決めて、走れないなりに攻めました。結果、その集団では1位になりました。精一杯の走りができたのでレース後は気持ちよかったです。」

また、久しぶりに一緒に駅伝を走った仲間から永田は『太ったね』とか『変わったね』と言われたという。これは永田の復活を喜んだ仲間が、永田へ『走れるようになったことで喜んではいけない。お前はもっと走れる奴なんだ。』と叱咤激励したのであろう。この言葉に永田は、「仲間の言葉は悔しかったけど、ケガする前に戻りつつある自分の変化に嬉しかった。」と語った。

永田さん第7話1.jpgその後、永田は2013年1月から完全復活を目指して月1000キロの走り込みをスタートした。真冬の新潟は寒く、また都会と違って夜道は暗い。月に1000キロ走ることはとてつもなく大変なことであるが、永田は自分に課した走り込みをやりきったのだ。そして、永田は2013年6月開催のサロマ湖ウルトラマラソンの前哨戦として、『チャレンジ富士五湖ウルトラマラソン』72キロを走ったのだ。

私(筆者)はそのレースで100キロの部に出場していたが、途中で72キロの部のトップ集団に抜かれた時に、その集団に永田が入っているのを見つけ、何とも言えない嬉しさを感じたことを昨日のことのように憶えている。

永田はレース終盤まで2位であったが、コースアウトしてしまいそのままリタイアしたのだが、サロマに向けて良い感触を掴んだという。

< 第12話へつづく >

  • あなたのRUNの前に。ランニング時のコンディションをサポート 持久系アミノ酸BCAA配合【Amino-Value】大塚製薬の公式通販『オオツカ・プラスワン』 通販限定商品も!ご購入コチラ