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【ウルトラマラソンランナー】永田務さん⑦

 < 第7話 >

永田務<第6話>を読む


第6話で紹介した同期の駒形氏、大関氏以外に、永田に大きな自衛隊-1top.jpg
影響を与えた人がいる。それは、自衛隊時代の陸上部の監督だった。

中高校生時代、本番に弱く"練習チャンピオン"と呼ばれていた永田だったが、
自衛隊に入り、監督に言われた言葉が永田を吹っ切れさせたのだという。

『本番が弱いなら、もっと練習で強くなれ』

現在の永田はウルトラマラソンがメインであるが、当時はスピードを生かして5000mを中心に走っていた。当時の永田は面白いようにタイムが伸び、レースに勝てることから楽しくて仕方がなかったという。
当時のことを永田は語った。

「日体大記録会はタイムが良くなると、後ろの組になりスタート時刻が遅くなります。自分もタイムが伸びてくると、箱根駅伝等で活躍している有名なランナーと同じ組になり競えるようになりました。そして、その有名なランナーに勝った時の嬉しさは言葉では表せません。

今でも記憶に残っているのは、高校時代に同じ新潟県でNO.1であった選手と走ることになった時のことです。高校時代には1回も勝てなかった速い選手ですが、自衛隊で頑張ったことで彼に勝つことが出来ました。それまでもタイムは伸びていたので自分自身の成長は分かっていましたが、高校時代に勝てなかった選手に勝てたことで自分自身が凄い勢いで伸びていると実感することができました。」

自衛隊2.JPGそして、高校時代は15分が切れなかった永田の5000mのタイムは、14分17秒まで伸びたのである。

もう少し自衛隊に残ることが出来れば13分台も可能であったと語る永田だが、当時は外の世界がすごく良く見えて自衛隊を辞めたいという気持ちが徐々に強くなり、6年間で自衛隊を去ることになったのである。

「当時は外の世界に出れば時間に縛られず、とにかく自由って思っていました。」と永田は語った。

話は前後するが、自衛隊時代に永田は初フルマラソンを経験している。エリートレースのびわ湖毎日マラソンである。その年は非常に暑く速いランナーが次から次へと脱落するサバイバルレースであったが、永田は粘り続け2時間28分50秒で50位に入ったのである。参加資格が2時間30分のレースで2時間28分50秒はタイム的には目立つタイムではないが、50位という順位は素晴らしい記録である。

< 第8話へつづく >

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