ページ内を移動するためのリンクです。

【ウルトラマラソンランナー】永田務さん④

 < 第4話 >

永田務<第3話>を読む


第3話の最後に、

  "次号からは、永田務が歩んできた非常に険しい道のりを紹介する。
  ここまでの記事を読んだ方の多くが想像もできないような苦境から彼は這い上がってきたのだ。"

と書いた。
想像もできないような苦境とは大袈裟と思う方が大半だろうが、読み進めていただきたい。

その前に永田務とはどんなランナーなのか、どんな人物なのか知って欲しいので、まずは彼がランニングと出会ってからのことを紹介する。

永田は中学生になってから陸上を始めたが、そのきっかけはダイエット永田さん幼稚園2.jpgだった
という。今ではランナー体型の彼も、小学生の頃は保健室の先生に食事指導されるような肥満児であったというから驚きだ。その肥満指導により近所を走り始めたことがきっかけとなり、走るのが楽しくなって中学の陸上部に入ったのだ。1年生の頃はまだ太っていたのでクラスメイトの女子部員に勝てなく悔しい思いをしたが、一生懸命練習を重ねることで痩せてきたという。

2年生になった頃からメキメキ速くなり、1500mを4分37秒で走り地区大会を突破して県大会に出場するような選手になったのだ。当時の陸上部は指導者不在で練習メニューは3年生が作った。永田も先輩が作った練習メニューに従い一生懸命練習したという。


永田さん中学生2.jpgそして、3年になり陸上部の中心的な立場となった永田が練習メニューを作るようになった。負けず嫌いの永田は練習でも他の部員に負けたくないことから、自分が得意な200m×15本等のインターバル走中心のメニューが大半であったという。しかし、指導者不在でありながらも永田は自らが作った練習メニューによりスピードが強化され、全国大会には行けないまでも4分20秒で走れるまでになったという。

その後、地元の高校に入学した永田は迷うことなく陸上部に入った。その高校は当時、新潟県で2番目に強い強豪校であったという。中学時代とは違い指導者にも恵まれメキメキ力をつけていった。全国レベルではないが、1500mは4分02秒で走り北信越大会に出ることができた。5000mのベストタイムは15分24秒であったが、彼の練習内容からすると14分台は絶対に出せると言われ続けていたが本番では中々良い結果が出なかった。

そんな彼のことを、周りは『練習チャンピオン』と呼んでいたのだった。

< 第5話へつづく >

  • あなたのRUNの前に。ランニング時のコンディションをサポート 持久系アミノ酸BCAA配合【Amino-Value】大塚製薬の公式通販『オオツカ・プラスワン』 通販限定商品も!ご購入コチラ