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【輝く女性ランナー】VOL.7 三浦あずささん②

 < 第2話 >

三浦あずさ<第1話>を読む


プロスノーボーダーになる夢を志半ばで諦めた三浦あずさ(敬称略)だが、三浦さん:顔アップ.jpeg
その時の気持ちをこう振り返った。

「5年間くらいかなぁ、一生懸命頑張って、本気でプロになりたいと思ったけれど、いつしか滑ることが義務感になってきていたんですよね。最初は気付かないふりして、毎日一生懸命練習していたけれど。でも楽しめないと、だんだん、だんだん、しんどくなる。いま思うと、ランニングも一緒ですね。」
 

三浦さん:幼少期水泳-1.jpg少し話しは逸れるが、スノーボード、特にトリック系のフリースタイルは危険であり、三浦も大会のジャンプで転倒して顎と腰の骨を折る重傷を負ったことがある。顎の骨を骨折により上下の歯を固定し、2ヶ月間ストローで流動食だけで栄養をとる生活を送ったことで毎日フラフラになっていたという。もちろん、その間はしゃべることもできないのだ。

彼女は当時のことを思い出し話した。

「毎日流動食だったので栄養が足りずにフラフラでした。食べられないことへのストレスも限界でもう、毎日大変!
毎日、固定を外したらあの店のパンを食べようとか、歯ごたえのあるステーキを食べようとかいつも考えていました(笑) そして2ヶ月経って、念願の固定が外れたので心待ちにしていたパンを食べに行きましたが、なんと噛むための筋肉が退化してしまっていて、柔らかいパンを噛む力すらなく食べられないのです。仕方がないから食べないまま帰りましたが、あの時はホントショックでした。今は食べたいものを食べるのは普通のことですが、あの時のことを思い出すたびに普通に食べられることって素晴らしいと思います!」

これらの話の中にも、三浦が大スランプに陥った時に諦めなかった理由が含まれて三浦さん:幼少期3-1.jpg
いるのだろう。プロスノーボーダーになりたいという夢を途中で諦めてしまったことへの後悔や、大怪我をした時に普通のことが普通でなくなってしまったことを経験したことで、スランプになろうが走れることの有り難さを感じていたのだろう。
                                

プロスノーボーダーになる夢を挫折した三浦はしばらく抜け殻状態になり、打ち込むものも無くなんだか人生詰まらなくなっていた。そんな生活を送っていた三浦に父親は何も言わなかった。昔から父親は三浦の好きなようにさせてくれていた。

そんな父親が、仕事から帰ると疲れているだろうにジョギングしたり、週末には山に走りに行って、目標のために練習を積んでいる姿を見て、何だか今のままではいけないと思うようになっていた。三浦の父はハセツネ(日本山岳耐久レース)で年代別入賞するほどのランナーであった。

三浦さん:幼少期父親と一緒.jpg三浦は、ハセツネのために練習する父に「私にもできるかなぁ?」と聞いたら、
「練習すればできるよ」といとも簡単に答えてくれたという。

「今思うと、ハセツネなんてクレイジーなレース、そんなに簡単に『できるよ』なんて言わないでって思います。無責任ですよね(笑) でも、その"無責任"のおかげで、その後の私の人生を変え得るランニングに出会えたのですから、今はありがとうって思ってます。」

その一言で、いきなりハセツネを目指して、ランニングを始めることになったという。
2006年1月のことである。

これが国際ランナー三浦あずさの原点であった。

< 第3話へつづく >

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