弛むことなき旅路の果て 吉田香織に送るレクイエム⑮
<最終話> エピローグ そして プロローグ
『吉田香織に送るレクイエム』と題して、吉田香織復活の奇跡の1年を短編ストーリーでお届けしてきた。まだまだ続くストーリーだが、ひとまず、これを最終話とさせていただくとする。
人生は "山あり谷あり"
そもそも、この1年が"奇跡"と呼ばれるためには、いくつもの導線が存在している。話しを聞きながら、そんな風に思う。
夢に心を膨らませた高卒ルーキーの少女が、"山あり谷あり"の実業団選手時代を2つのチームで過ごした後、クラブチームのアスリートを2つの所属先で経験する。所属を何度も変えながら、山よりも谷が多くなっていく。最終的には、深い谷へと転がり落ちるのだ。闇に覆われた深い谷からは、もう山を見ることさえできないと思われた。そこから、山が見える平地に上るだけでも大変なはずなのに、1年間で山のてっぺんへ登頂までしてしまうのだ。普通は考えられないこと。それを吉田は、普通のことのように話す。
「何が幸か不幸かはわからないし、人生には"上り坂"と"下り坂"の両方があって、うまく帳尻が合うようにできているのだなと思います。辛い時期を越えられたからこそ、今回の結果があったのだと思うのです」と。
「深い谷を経験した者は強い」と感じた。
しかし、強さだけで、何とかなるものなのだろうか。そういう意味で、「偶然」という言葉を幾度となく用いた。
"偶然"か"必然"か
自分には偶然と思えることが、傍から見たら必然だったりする。逆に、必然のごとく進んでいることが、他人には偶然に見えることもある。
必然は「必ずそうなるに違いなく、それ以外にはありえないこと」とあり、一方で、偶然は「必然性の欠如を意味し、事前には予期しえないこと」とある。吉田香織のこの1年間を振り返ってみて、どっちなのだろうかと考えてみたくなった。
吉田は、実業団スポーツの世界で成功もあり、前途洋洋の時代も過ごしている。彼女の性格からして「エースとして君臨できるチームに所属していたら、どうだったのだろうか?」それは、誰にもわからないこととは言え、もしかしたら「アスリートとして、もっと早く大成していた可能性があったのではないだろうか」と思えてくるが、これもあくまで空論でしかない。
仮に、その可能性が高かったとして、では、それを先見の明で「違う選択」をできなかったのは、何故なのか?「次」「その次」「さらにその次」と移籍先を選んできたのは何故なのか?
今振り返ると「こんな複雑な道を歩む必要が、果たしてあったのだろうか?」と思わなくもない。様々な要因があったはずだが、違う選択肢は必ず存在したはず。つまり、「いくつもあった分岐点で、一つでも違う選択をしていたら、今の吉田香織は存在していない」ということになるだろう。
助演ばかりの女優が、今になって主演でオリンピック代表候補にノミネートされる。導かれたのではないかと思うほどに、この1年間の全てが繋がっている。創芸社に入社することから始まり、各ランニングクラブで今の仲間に出会い、打越コーチに指導を受ける。ソウル国際マラソンで再スタートを切り、北海道マラソンで手応えを掴み、さいたま国際マラソンで結果を出す。
昨年の秋にジョギングを再開した(当時)33歳の女性が、ほんの短期間で、考えられない復活どころか、それ以上の活躍を見せる。偶然としか思えない"この流れ"を必然と誰が言えるのだろうか。
「偶然か必然か、どう思うか?」と吉田に質問を投げかけてみた。すると彼女は、「難しい質問ですねぇ」と少し考えてから口を開いた。
「私は、そんなに人生を達観して生きられるような器用さのある人間ではないので、必然とまでは言い切れませんが、走れない期間に自分を見つめ直し、周りの支えに感謝できるようになってからは、"改めてやるしかない"と気持ちを入れ替えられたのが、結果的には良かったのかもしれません。なんとなくですが・・自信はありました」
奇跡を必然に変える"人の意志"
偶然の幸運を招く人とそうでない人の差は、もちろんある。よく「偶然目に留まった」というが、それは偶然ではなく、その人に気持ち(欲)があるから、目が止まるわけだ。
偶然と思えるような出来事を必然として成し遂げる「そこには人の意志がある」のだ。吉田を復活させたい吉木社長の気持ち、それに応えたい吉田の気持ち。吉田が日本のトップで活躍できると感じる打越コーチ、その言葉を信じる吉田。意志(心)の呼応が必然を呼ぶわけである。
そして何よりも、"吉田自身の自信" が奇跡を必然にしたのだ。当人にとっては、奇跡でも偶然でもない。
エピローグ そして プロローグ
必然のサクセスストーリーを生んだチーム吉田(RUNNERS PULSE)に、もう谷は訪れない。より高い頂きに向かって進んでいくことだろう。忌々しい(そう吉田が思っているかはわからないが)過去を葬り去り、安息の地を得た渡り鳥が、大きな鳥となって明るい未来に向かい羽ばたく。『レクイエム』というある意味、誤解を招く言葉を使わせていただいた訳はそこにある。過去を葬り、新しい未来への再スタートを切ったのだ。渡り鳥人生のエピローグを迎えた。その過程は、エピソードとして語り継がれるだろう(そのストーリーを書いておきたかった)。
このプロローグ(さいたま国際マラソン後)から、決して"弛むことのない"終わりなき旅路の果てまで、吉田香織にエールを送りたい。
『吉田香織に送るレイクイエム』
-おわり-