弛むことなき旅路の果て 吉田香織に送るレクイエム⑩
<第8話> 歩み寄った相性 築く共生
相性という努力
偶然にも打越が指導するグループに加入した吉田は、"復活"に向けた軌道に乗り始める。打越氏は、世界選手権男子マラソン5位の実績を持つ元実業団チームのコーチで、マラソンの藤原新選手のコーチも務めていた確かな実績を持つ。この指導者との出会いが、吉田の人生を大きく変えることになるとは、この時点で、いったい誰が予想しただろう。おそらくは、こういう出会いを「神様がくれた巡り合わせ」と言うのであろう。打越は、現役時代に"40km走をしない主義"でマラソンの成功を収めている。この理論が、吉田のカラダやココロに見事にマッチするのだから不思議だ。結果が出ているので言うわけではないが、成功のポイントは、二人の"相性が良かった"ということになろう。
「そんな簡単な表現で片付けていいのか」と言われそうだが、『相性』とは、二人の様々な要素が複雑に絡み合って合否が判定されるようなもの。一部の相性は良いが、一部は悪いというのが普通にある人間関係。プラスとマイナスの総合得点のようであり、最大加点と最大減点が大きく影響するものでもある。実際はどうだったのだろうか。二人にそれぞれの印象を尋ねてみると。
打越は「我が儘で "自分" を持っている気の強い感じの選手だな」というのが第一印象らしく「面倒なところもあるけど、吉田は、まだまだ上を目指せる選手で、自分の能力を全く出し切ってない。世界で戦えるセンスがある」と思ったという。
一方の吉田は「実際に、ご自身が世界選手権で入賞するほどのレベルで競技をしていた方なので、練習メニューの微妙な"さじ加減"が素晴らしい」「あとは押し付けがないので、フラットな関係でいられるのも自分に合っていると感じた」と話す。
二人の話を聞くと、やはり、相性が良いのは間違いないが、互いに互いを気遣っていることがわかる。でも、どちらかというと、打越が合わせているような気がしないでもない(吉田さん失礼!)。
求めてきた共同作業がやっと
この場合のコーチングとは、"吉田香織という作品"をどう創っていくかにほかならない。それは確かな関係を築くことから始まるわけで、きっと互いの歩み寄りが必要だったはずだ。
打越は「女子選手を指導するのは吉田が初めてだったし、男子選手と一緒に練習させていたこともあって、最初は"特別なことはしなかった"が、まだまだ伸び代があり、かなり可能性のある子だな」と感じていた。「少しずつ男子の指導から離れ、自然と吉田中心になったのが5月末のこと。男子と女子選手のペース設定に戸惑った覚えがあり、相談しながらスケジュールを立てていたことも多々あった」と簡単にはいかない苦労が多かったようだ。吉田中心に指導するようになった頃、長期スパンで体力を戻す計画で合意する。練習を重ねる中で、吉田は、"打越コーチ"と"自分のカラダ"と相談しながら計画を実行していく。そんな中、復帰2戦目のマラソンには、優勝経験のある北海道マラソンを選んだ。だが、「やみくもに結果を出しに行かない」ところがコーチの存在意義。選手は、コーチにあらゆる情報を提供し、コーチは、選手をコントロールする。本格的な共同作業の始まりである。
コーチングの始まり=試運転
なんといっても、選手のカラダや能力を知らなければ、真のコーチングはできない。「最低限のトレーニングを処方し、どんな結果が出るか」試行錯誤の作業を重ねながら、強度を高め、練習量を増やしていくしかない。"選手育成のセオリー" このあたりの"さじ加減"が絶妙に上手いのが打越コーチなのかもしれない。そういう意味で、北海道マラソンは、打越にとっては試運転のようなものだった。それでも、いきなり結果が伴った。こんなところに、かつて吉田が"天才少女"と呼ばれた言葉が嘘ではない証となって蘇るかのようだ。
北海道マラソン 第2位 2時間33分14秒
このレース直後に、吉田はこうコメントした。「本当に沢山の方に支えてもらって、ようやく戻ってきました。悔しい2位ではありますが、カラダに余力はあるので、うまく次に繋げます。皆さん、これからも応援よろしくお願いします!」と。
人気者である吉田の復活に周囲が騒ぐ中、打越は冷静に分析していた。「カラダに余力がある」という吉田の反応に、打越コーチは自信を深める。「これなら、復活どころか、過去の吉田を超えさせてやることができる」と内心で"ほくそ笑んだ"のだ。
吉田の言う「次に繋げます」の"次"は、さいたま国際マラソンと決めていた。吉田の故郷で開催される記念すべき第1回大会だからだ。「両親や先生、同級生、私が関わった全ての人に、元気に走る(復活する)姿を見せたい」と心に強く誓う。
その手応えを少しずつ掴みつつあった。
-続く-
<第9話> 吉田香織の再生のとき