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弛むことなき旅路の果て 吉田香織に送るレクイエム④

yoshiada_title_2.jpg<第3話>飛ぶほどに傷つく心と翼


"諦めるは易し"を紡いだ14年

第6のステージに降り立った吉田を支えているのは、"結果的には"成長を促したことになる"渡り鳥の苦節14年"(創芸社へ入る前)。本人が必死に生きてきたからこそ、途絶えることなく"今"に繋がった14年である。

簡単に挫折する人間は多い。『夢見るも諦めるも易し』だが、『遂げるのは難し』が世の常。「結果的には」と書いた意味は、苦しい14年を"紡いだ"吉田の意思にある。

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最初は順風だった吉田の競技人生の雲行きが怪しくなっていくわけだが、飛べば飛ぶほどに、天候は荒れていき、待ち受けるのは強い向かい風ばかりとなっていく。羽を休めれば、後退しながらならば浮いていることはできる。しかし、目的地には永遠にたどり着けない。自力で羽ばたいて進むしかないのだ。

安住の地を求め飛び続け、心が痛めつけられるほどに、雨風に打たれてきた吉田が、どのように彷徨い(さまよい)、今の地にたどり着いたのだろうか?

"現在の吉田香織"という人間が成される過程と理由を探るべく、ここで、時計の針を巻き戻してみたい。


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"最初の" 成功、そして、挫折

15年前の春、埼玉の名門である川越女子高等学校を卒業して入社したのは、積水化学。もちろん、陸上競技部へ入部することが前提の就職である。実は、進学率100%という名門女子校が誇る数値(100%)を破った張本人は、実は、吉田香織だったという。とても興味深い実話だ。

入社当時は、後にオリンピックで金メダルを獲得する高橋尚子が全盛の時代。ぴょんぴょん飛び跳ねる走法から「牛若丸」という愛称で呼ばれ、吉田の素質は、順調に開花する。千葉国際駅伝の日本代表に選ばれるほどの実力をつけていくのだ。吉田に"光るもの"を感じた小出監督が、"Qちゃん2世"と呼び、高橋尚子の練習パートナーに抜擢したのは、有名な話。

オリンピックで金メダルを獲得できるほどのトレーニングを共にこなす。もちろん、それは尋常じゃないレベルだったはずだ。全て消化できるわけがない。もし、高橋尚子と同じように練習が消化できていたとしたら、吉田だって、オリンピックの日本代表になっていたに違いない。

経験した者にしかわからない疲労困憊の日々。カラダがまだ出来上がっていなかった高校卒業したての吉田には、酷な環境だったのではないだろうか。消耗する心とカラダ。「私は、何のために走っているの?」「これでいいのだろうか?」自問自答を繰り返すほどに、走れなくなっていった。

yoshida26.jpgそんな状態の時に、小出監督の辞任。吉田は、「このチームでの私の引き際」だと思った。

抜け出せない脇役ランナー

移籍先に決めたのは、資生堂ランニングクラブ。当時、資生堂に所属していたのは、オリンピックで3回、世界陸上で4回も日本代表となった弘山晴美、後にマラソンで大活躍する嶋原清子、尾崎朱美、加納由理、藤永佳子、さらには、トラックで日本トップクラスの佐藤由美らだ。

2006年には、全日本実業団対抗女子駅伝で優勝するほどのチームで、吉田は駅伝のメンバー(6人)にすら入れない。いわゆる資生堂の全盛期に所属していたわけである。

そんな豪華メンバーがいる中でも、意地は見せた。初マラソンとなった北海道マラソンで優勝!それも最初から最後まで独走。翌年の世界選手権女子マラソン日本代表の候補選手に名を連ねたが、残念ながら落選する。

マラソンで高い素質の片鱗を示し「さあ、これから」というとき、今度は、川越監督がクラブチームを立ち上げるために辞任する。「またしても・・・」暗雲が立ち込める。嫌な予感が過る。

川越氏が結成するセカンドウィンドACに付いていくのが、嶋原と尾崎、加納だった。当然、吉田も追随する。「実業団という縛りから逃れ、マラソンを極める」ことを唱えるクラブチームだったから。北海道マラソンの優勝で「マラソンの面白さ」と「自分の可能性」を実感した吉田は、何も迷うことはない。期待に胸が膨むばかりだった。

yoshida24.jpgしかし、そこに待ち受けていたのは、厳しい現実。「チームで一番になれない」「結局は、脇役でしかないのか」という思いを抱きながら競技を続けた。そこには・・・

虚しさが増すばかりの"成長途上"の吉田香織がいた

-続く-

<第4話> 暗雲の中で想うこと


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