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【輝く女性ランナー】VOL.9 田村瑠紗さん②

 < 第2話 >

田村瑠紗<第1話>を読む


市民ランナーにとってサブスリーは大きな目標であるが、達成できるランナーは非常に少ない。一般的に男性でも3%程度、女性にいたっては1%に満たないのだ。実際に、2014年11月23日開催のつくばマラソンでは、1954人の女性が出場し、3時間を切ったランナーはわずか2名であった。この大会に限れば1000人に1人の非常に狭き門なのである。

そのサブスリーを目前にしながら、妊娠・出産によりランナーとしての夢は一時中断せざるを得なかった田村に当時の気持ちを聞いた。その紹介の前に、彼女の幼少期やランニングとの出会いを振り返りながら、いかにしてサブスリーを掴み取る寸前まで至ったのかを紹介していこう。

インタビューに一緒に来てくれた田村のお子さんを見ていると田村がどんな田村さん3_1.jpg
少女だったのかは想像に難くないが、実際に彼女の話を聞くと想像を超えていた。

彼女のお母さんは今でも覚えていて帰省すると話題に出るというが、彼女は幼少期に縄跳びを1000回跳ぶことができたという。それも跳ぶための練習を一生懸命したというより跳べてしまったというから幼少期から運動神経は抜群だったようだ。また当時から非常に負けず嫌いだったと彼女は話した。

「子どもの頃は3歳上の兄にライバル心を持っていて、何でも負けたくなかった記憶がボンヤリあります。ただ、今でもはっきり覚えているのは幼稚園の運動会でリレーの選手になりたかったこと。絶対になってやる!と思ったことです。小学校の頃は足の速さは誰にも負けないくらい速かったので、ずっとリレーの選手に選ばれていました。あだ名がジョイナーだった頃もありました(笑)」

田村さん5.jpgその抜群の運動神経を活かして、小学校ではミニバスケに打ち込んでいたという。全国制覇を夢見て一生懸命練習したが夢は叶わなかった。だが、全身バネのような身体はこの時に作られたのだろう。当時のことをこう語った。

「練習は近くの高校に行って教えてもらっていました。全国大会を目指して厳しい練習をしたので精神的にも非常に鍛えられた小学時代でした。」

そして、中学校ではバスケットボール部に入った田村であったが、強くないチームであったので次第にやる気を失って辞めてしまった。小学校時代に一緒にミニバスケに打ち込んだチームメイト達は、他の中学校に進み活躍しているのが悔しかったのかもしれない。ただ、運動部に入っていない彼女であったが中学生までは陸上部員にも負けないくらい速く走れたという。

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その後、24歳になるまでスポーツとは無縁の生活を送った田村は、お酒を飲むようになり徐々に肥り始めた。

「もともと42キロくらいだった体重が48キロになり、その後田村さん2.jpg
怖くて体重計に乗っていませんが間違いなく50キロは超えていました。未知の領域に入り流石にまずいと食事制限を行ったところある程度落ちましたが、もう太りたくないと思いスポーツジムに入会しました。食事制限をしながら運動をし過ぎたので、一時は38キロまで痩せてちょっと病的な時期もありました。スポーツジムでは最初何をすれば良いのか分からないので筋トレやトレッドミルをしていましたが、スタジオで楽しそうにステップをしている人たちを見ているうちに自分もやってみることにしました。」

そして、ステップやエアロビクスに熱中するようになった。当時難しい動きを覚えるのが楽しくて一生懸命練習したという。田村に当時何が面白かったのかと聞いたところ彼女はこう答えた。

「難しい動きをマスターするのは面白かったです。昨日までできなかったことができるようになるのは最高でしたし、インストラクターの癖を覚えて複雑な動きができた時は本当気持ちよかったです。」

それほど熱中したステップやエアロビクスであったが、急につまらなくなったという。田村は「好きなインストラクターのステップが簡単にできるようになったら急につまらなくなりました。できないコリオ(振付)がなくなった時に終わりが見えた感じがしました。」と振り返った。それでも、その後もステップやエアロビクスは続けていたが、もう以前のように打ち込むことはなくなった。

ちょうどその頃、田村はランニングと出会ったのだ。

(インタビュー・文章 新澤英典)

< 第3話へつづく >

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